文化発展のための著作権はいらない

初めに

著作権法第一条には、著作権法の目的として次のように書かれています。

第一条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

著作権法の目的は、文化を発展させることである」。そう条文には書かれています。
 私自身も、著作権法の目的は「文化発展」であり、これを目的として著作権法は存在すべきだと考えていました。
 しかし、最近は逆の考えが浮かんでいます。つまり、著作権に「文化発展」という目的はいらないのではないか。逆に、「文化発展」という目的は、著作権法がどうあるべきかを分かりにくくしているのではないか。
 このように思うようになったのは、二つの理由からです。一つ目に、最近の国の政策を見て。二つ目に、「文化発展」という言葉の曖昧さからです。

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「アスキーアートの法と慣習」をまとめました。

連載物の書庫
 右のリンクにも貼ってありますが、ブログで連載している「アスキーアートの法と慣習」の現在までにできたものをまとめました。
 読みやすくするために、大部分を編集・修正してあります。
 読んでいただければ、幸いです。

謝辞mixiにて、サイトのデザインなどにアドバイスをいただきました。ありがとうございます。

 アスキーアートは誰のものか。

概要

 これまでは、①でギコ猫騒動に対する2ch外部の反応、②で法的側面、③で西村氏の反応、④で2chを中心とした人々の反応を書いてきた。
 ここからは、エントリーの本題である、ギコ猫騒動から見えるアスキーアート*1の権利意識・規範を取り上げる。「取り上げる」と言っても様々な面があるが、今回はアスキーアートは誰のものなのか」「誰がアスキーアートの権利を持つのか」という「所有の主体」「権利の主体」を考えたい。
 結論を述べるなら、アスキーアートの「権利主体」は、「個人(創作者)」「集団(2ちゃんねるあやしいわーるど)」「パブリック(所有するものがいない)」という三つの要素が相互作用することで決まっている。そして、相互作用の結果として「アスキーアートはパブリックである」に落ち着いている。
 しかし「アスキーアートはパブリックである」は、幸運なほど弱い「個人」を背景としている。「個人」が力を持ったとき、この慣習は怪しいものになる。

*1:今回は「ギコ」というキャラクターが問題となっている。そのため、今回言うアスキーアートとは「アスキーアートキャラクター」を中心としている

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はては匿名ダイアリーの一記事の感想

「お嬢さんが亡くなったそうで」
http://anond.hatelabo.jp/20070213183541


上の記事を読んで、なんとなく次の言葉を思い出した。

「そして、世の中にこれだけの人がいたら、その中にはちっとも普通じゃなくて面白い人生を送っている人もいるんだ、そうに違いない、と思ったの。それが私じゃないのは何故…」
「小学校を卒業するまで、私はずっとそんなことを考えてた。」

涼宮ハルヒの憂鬱V

インターネット(おもに2ちゃんねる)のおかけで、世の中のどこかにいる、ちっとも普通じゃなくて面白い人生を送っている人の人生に、介入する機会が増えたね。
上のはどちらかというと、怖い話だけど。

補足的なこと

つまり、「2ちゃんねらー」とは「ある人々」のことではないのだ。「2ちゃんねらー」とは、2ちゃんねるによって生じる「ある現象」の名称なのである。

 全面的に同意。ただ、2ちゃんねる内部にいる人たち自身が、「2ちゃんねらー」という集団をくくって、そこに乗っかるという現象もある(今回はそれが問題でないことは分かっているが)。外からの括りと、内からの括りとがあるんやね。内からの括りは、あまり注目されることはないけど。

2ちゃんねるでの反応―アスキーアートの法と慣習④

全体の概要

 2002年での2ちゃんねるの利用者数は約340万人*1であり、現在の3分の1ぐらい*2である。ギコ猫騒動は、主にニュース系の板、モナー板、2ch批判要望板で盛り上がっていた(この時期の2ちゃんねるのスレッド(現在、既読は約7060スレッド)を読んで)。この中で、2ch批判要望板は西村氏が登場したこともあり、議論が中心のスレッドとなっている。また、モナー板ではAA描きによる作品も作られている。ニュース系の板ではときおり議論も交えながら、雑談が主となった。
 ちなみに、ギコ猫騒動において全員に同じ問題が共有されていたわけではない。つまり、「『ギコ猫』という文字商標が登録されたらどうなるのか?」を正しく把握している人と、把握していない人がいたのである。具体的には、AAとしてのギコも使えなくなるのではないか、ギコを2ちゃんねるに書き込むことが出来なくなるのではないか、ギコから派生した「しぃ」も使えなくなるのではないか、などである。また、ある部分は正しく認識しているが、ある部分は間違って認識しているという人もいる。このようになるのは、「商標法」があまり一般的な法律ではなく、それでいて「独占」というイメージだけは強いことが原因であると思う。このような勘違いは、「NPO商標問題」*3 *4時においても発生している。
 もちろん、正しく把握している人もいる。問題は、正しくに把握している人としていない人の比率である。だた、匿名掲示板というレスを判別することが不可能な環境であるため、実際はどちらの比率が多いのかは分からない。そのため、ここでは人々の認識が一様ではなかったということにとどめておく。*5

*1:具体的な数字が無いので、「ウェブメディアの発展史 2000-2006」(33p)からの目分量

*2:同上。一番新しいので、Web広告研究会の2005年9月の990万人

*3:NPO - Wikipedia

*4:[意見]「NPO」「ボランティア」商標登録取り消しについて

*5:個人的な感触としては、ある程度正しく理解している人が多いように思える。法律系の板での相談や、弁理士と名乗る人物からの発言が正確な知識を得るのに役立っていた。

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